2012年7月18日水曜日

実験経済学15: Addiction・依存症のモデル

私は今回の講義でaddictionという分野の行動経済学におけるモデルを解説しました。ここでのaddictionとは誘惑や依存といった行動を意味しています。従来の経済学では「人間は合理的に意思決定を行う」という前提を置いていたが、それではaddictionという非合理的に見える現象をうまく説明できなかった。それらに対して行動経済学的な視点からモデルを構築した2つの論文を紹介しました。 1つ目の論文は Gul and Pesendorfer (2001)の"Temptation and self-control"です。 この論文の功績は、「誘惑がコストになる」ことをシンプルな公理で示し、それを表す効用関数を導いた点である。このモデルでは2つの効用関数を用いる。uはメニュー単体に対する消費者の評価値、vはメニューの誘惑に対する消費者の評価値を表している。ここで、誘惑される消費者の性質として「選好の中間性」という公理をおく。これは「 であれば即ち である」という消費者が誘惑される場合の選好関係を表している。 この公理に基づいてモデルを構築すると、誘惑される消費者の効用関数は以下のように導かれる。消費者はこの関数に基づき意思決定を行う。

 

ハンバーガーとサラダを例に取り、以下の数値例を置く。

サラダ(salad)
ハンバーガー(burger)
u
10
1
v
2
8

これらの数値は、サラダの方がハンバーガーより自分の健康にとって望ましいが、 ハンバーガーの方がサラダよりも消費者を誘惑する、という仮定を表している。 メニューが{サラダ(salda)}のとき、 そのメニューの価値は上式より、
 
となる。 しかし、メニューが{サラダ、ハンバーガー}のとき、 
 
となってしまう 両者を比較すると、消費者にとっては前者のメニューのほうが高い効用が得られることが分かる。 この消費者はどちらの店に行ってもサラダを選択するが、そこにハンバーガーという「誘惑」が存在すると、誘惑に打ち勝たなければならないため効用が減少してしまう。これが「誘惑のコスト」である。

2つ目の論文はBernheim and Rangel (2004) "Addiction and cue-triggered decision processes"です。 人間の意思決定プロセスには合理的な状態と非合理的な状態の2種類があり、後者はある種のトリガーによって引き起こされるというモデル。つまり、効用最大化に基づいた意思決定をしていても、トリガーとなる刺激によって外生的に消費者は依存行動に陥ることがあるという設定である。変数として生活様式、消費者の依存レベルや中毒財の依存性を用いており、中毒財の消費行動を上手く表現している。また、中毒財の宣伝規制やタバコのパッケージに関する規定など、消費者の意思決定に影響を与える施策も説明している。さらに、このモデルを用いて、中毒財に対する政策についても議論している。主な政策としては中毒財への課税と依存行動による損害への補助金の2つが考えられるが、中毒財の性質によって適切な政策は異なる。例えば、コカインやヘロインのように最初の使用が衝動的であり、かつ依存レベルの上昇に伴い意図的に対象を使用するようになる場合は補助金が有効であると主張している。一方、タバコやアルコールのように日常的に使用され、依存性の変化が少ない場合には課税が有効であると主張している。  

以上の例のように行動経済学においてはモデル構築を適切に行うことで、依存のような一見非合理的な行動も、最適化行動を前提としたモデルを用いて分析可能であることがわかります。

参考文献
 (石井大河)

2012年7月11日水曜日

実験経済学14: 神経経済学をつかむ

「神経経済学をつかむ」というタイトルで、その歴史、手法、研究例を紹介しました。
 神経経済学は、経済学と認知神経科学にそのルーツを持っています。それぞれの分野が今までの研究の行き詰まりを解消すべく、新しいパラダイムを探す中で、お互いに出会ったのでした。
 1930年代から50年代にかけて、経済学では新古典派・顕示選好理論派と呼ばれる考え方が主流になっていました。1960年代に入ると、実際の人間の行動と、これらの理論から導かれる予想とが乖離していることを示す実証(アレのパラドクスなど)が発表されるようになりました。この矛盾を解消しようという試みの中から、行動経済学、実験経済学、そして神経経済学が生まれます。
 新古典派・顕示選好理論派の考え方のひとつの特徴に、「人の頭の中をブラックボックスとしている」ことがあります。選択行動の結果のみから選好関係がわかる、という前提から出発して理論を組み立てているのです(顕示選好理論)。ここに心理学の知見を応用し、選好関係が生まれる過程についての理論を作ったのが行動経済学です。また、人間の行動についての理論であるにもかかわらず、実証してこなかったという特徴もあります。ここに注目し、心理学実験の手法を応用して経済理論の妥当性を検証していこうとしているのが実験経済学です。経済学から見た神経経済学は、この実験経済学の手法を用いて、行動経済学の理論を検証しようとする試みの中で生まれました。
一方、認知神経科学では、1980年代に観測機器が急速な進歩を遂げたことに伴い、意識と脳の働きに関するモデルが乱立しており、統一理論の必要性が叫ばれていました。そこへ1996年、ある研究者によって経済学理論が持ち込まれ、初めての神経経済学的論文が出版されます。認知神経科学から見た神経経済学はここに成立します。
 その5年後、2001年には神経科学の知識を応用した経済学の論文が発表されます。その後数年の間に、神経科学で人間の意思決定を解き明かそうとする研究者たちが一同に会する機会が数多く持たれ、2003年の会合で、この分野を「神経経済学(neuroeconomics)」と呼ぶことが決まります。翌2004年には神経経済学会が組織され、神経経済学は学問分野として確立するに至りました。以下は1990年から2006年までの、神経科学の文献に掲載された意思決定に関する論文の数のグラフです。2000年代に入ってから、神経経済学が急速に関心を持たれている様子がわかります(Figure 1)。
ところで、神経経済学の研究はどのように行われているのでしょうか。まず、元になるのは、心理学や経済学、認知神経科学の理論です。それらの理論を、fMRI, PET, tDCS, TMSという機器で脳の血流量を測定/変化させることで実証していきます。近年の研究では、手術や薬剤投与の必要がなく、脳の深部まで詳細に観察することができるfMRIが多く使われています。しかしfMRIにも短所が存在します。fMRIは脳の中の血流量を測定する機械なので、あくまで「ある部分に他よりも多くの血液が集まっている」ということしかわからないのです。そこで用いられるのがtDCSやTMSといった機器です。これらは電流や電磁誘導を用いて特定の部位の活動を直接コントロールする機器なので、fMRIでの測定結果をより詳細に検証することができます。
たとえば、Sanfey et al. (2003) は、fMRIを用いて最後通牒ゲームを行っている最中の被験者の脳の賦活を測定するという実験を行いました。ここでは、不公平な提案を受諾するか判断する際には、左右の前頭前野背外側部(DLPFC)と呼ばれる部位が賦活することが示されています。Knoch et al. (2006) ではこれを検証すべく、TMSを用いて左右のDLPFCの賦活をそれぞれ抑制する実験を行いました。その結果、右のDLPFCを抑制した場合にのみ、不公平な提案を受諾する率が上がるということがわかりました。fMRIの実験からはわからなかった、左右のDLPFCの役割の違いが示唆される結果となりました。
 ここまで、神経経済学の成り立ちと研究の様子を大まかにご紹介しました。二つの異質な分野から生まれた神経経済学は、そのルーツである認知神経科学、経済学からも根強い批判を受けています。内部でも統一がとれているわけではなく、研究方針を巡る論争も続いています。それでも、人間の意思決定の大元に近い脳の様子にまで踏み込む研究手法を武器に、意思決定の理論に大きな影響を与えていくでしょう。今後も目が離せない、刺激的な分野です。(執筆・発表担当: 川口いりえ)

参考文献
  • Paul W. Glimcher, Colin Camerer, Ernst Fehr, and Russell Poldrack. 2008. "Introduction: A Brief History of Neuroeconomics." Chap 22 in Neuroeconomics: Decision Making and the Brain, ed. P. W. Glimcher, E. Fehr, C. Camerer, and R. A. Poldrack. New York: Elsevier.
  • Daria Knoch, Alvaro Pascual-Leone, Kaspar Meyer, Valerie Treyer, and Ernst Fehr. 2006. "Diminishing reciprocal fairness by disrupting the right prefrontal cortex." Science, 314 (5800), 829-832.
  • Alan G. Sanfey, James K. Rilling, Jessica A. Aronson, Leigh E. Nystrom, and Jonathan D. Cohen. 2003. "The Neural Basis of Economic Decision-Making in the Ultimatum Game." Science, 300 (5626), 1755-1758.

2012年7月4日水曜日

実験経済学13: Mental Accounting

この講義では2本の論文、
を用いて、Mental Accountingを紹介し、それを応用した実験例を説明しました。

Mental Accounting とは、ある金額に対する人々の効用が、時や場所、またその受け取り方や支払い方によって、変化することである。例えば、年950万円の給与を、全部を給料として毎月同じ額にわけてもらう場合と、給料800万円+ボーナス150万円でもらう場合を考えてみよう。どちらも同じ年収950万円であるが、2つの場合で消費パターンは同じになるのか?あるいは、効用は変わるのだろうか? やはり、ボーナスとして得た150万円は何か特別なことに使う人が多いのではないか?
これは、限界効用が逓減していることから説明できる。給料800万円とボーナス150万円を別の収入と考えれば、800万円分の効用と150万円分の効用を別々に得ることができるが、一方で950万円の給料として受けるとその分の効用を一度に得ることになる。限界効用は逓減しているので、給料の追加的な150万円の増加はボーナス150万円よりも価値が少ないと言える。
 この効用の違いを実際に使っているマーケティング手法が、携帯電話などを購入した時に現金で代金の返還を受ける、いわゆるキャッシュバックである。一見、値引きと変わらないと思われるが、「安い代金で携帯を手に入れた」場合よりも、「携帯を手に入れ、さらに現金も返ってきた」場合の方が、この理論からすると携帯購入者の効用が高いのである。同様の考え方から、2つの損失は同時に被る方が、非効用が少なくて済むことがわかる。
 収入と損失の場合は、合計してプラスになる場合と、合計してマイナスになる場合に分けて考える必要がある。まず合計してプラスになる場合として、200万円の収入と150万円の損失を考えてみる。合計して50万円を得るか、200万円の収入を得てから150万円の損失を被るか、を比べるのである。これは損失から受ける非効用が、同じ金額の収入から得る効用よりも大きいということから考えると、200万円から得る効用よりも150万円を払うことによる非効用の合計は、50万円から得る効用よりも小さくなる。よって収入と損失で合計してプラスになる場合は、一度に収入を得て、損失を被った方が望ましい、とわかる。
次に合計してマイナスになる場合を考えるが、ここからさらに2つに分割して考える必要がある。収入に比べて損失がそれほど大きくない場合と、損失があまりに大きい場合である。まず損失がそれほど大きくない場合は、論文中のFigure 1a(右図上)で表されている。この図で、収入を得ると同時に損失を被る方が、収入を得た後で損失を被るよりも、効用が大きいことがわかる。逆に、収入に比べて損失があまりに大きい場合も考えよう。同様にFigure 1b(右下図)において、収入を得た後で損失を被る方が、収入を得ると同時に損失を被るよりも、効用が大きいことが示されている。
Mental Accountingは収入と損失の組み合わせに限られない。要は、心の中で効用を計算することがMental Accountingなのである。よってその他にも、賭けで負けた人が最後に大博打に出ることも、Mental Accountingを用いて、その日その時に意思決定を行っていることを示す。ここで我々はどうやらMental Accountingによって知らない間に支配されているのではないか、ということに気付く。

次の論文は、Mental Accountingの論文が発表されてから10年以上も経った後での論文で、タクシー運転手に関してのデータを集め、分析したものである。具体的には、労働時間と最初の1時間の賃金の弾力性を調べる。経済理論からは、最初の1時間の賃金が高くなれば、その分稼ぐインセンティブが増え、労働時間は長くなり、逆もまた然りであるので、労働時間は賃金に対して弾力的である、ということが予測される。しかし、実際には運転手はその日その日ごとに賃金の達成目標を決め、それが達成され次第、運転をやめるという傾向にあるため、賃金は非弾力的になった。これも運転手が自分の心の中で会計を行っている結果なので、Mental Accountingの効果である。
ここで面白いのは、経験を積んだタクシー運転手と未熟練のタクシー運転手との比較である。経験を積んだ運転手は、未熟練の運転手よりも賃金弾力性が高くなったのだ。これは経験を積むことで、一時間当たりの賃金が高い日にたくさん働き、賃金が低い日には早めに仕事を切り上げることが、より効率的に賃金を得て、余暇を消費できると分かったからである。理論上の計算では賃金と労働時間の弾力性が1になるように運転手が働くと、収益は10%増え、さらにより多くの余暇を消費できることが分かった。
このように、運転手は経験を積むことでMental Accountingから脱却することがわかる。経済理論により近い形へ、実際の人間が次第に近づくことが目に見えてわかるのが、このモデルの醍醐味であろう。

説明には「ハッピー」や「ダメージ」といった自分の言葉に変換して、聴き手にわかりやすく伝えることを心がけました。(舘川裕司)