私は「社会的選好と、アプローチ方法としての実験」というタイトルの発表をしました。社会的選好とは、人の公平性や利他性に価値を見出す程度のことを指します。経済学では合理的な個人を想定して議論しますが、現実の個人は非合理的な行動をとることがあります。そこで、社会的選好がそのような行動の動機に影響を与えている場合があるのではないかと考えた研究者の方々が、実験を通してこの仮説を検証してきました。
この発表ではその中でも「ゲーム」を用いた実験について説明しました。発表で説明したのは最後通牒ゲーム、公共財ゲーム(注1)、信頼ゲームと呼ばれるものの三つのみですが、同じゲームを用いていても、実験によって設定に工夫がなされ、異なった結果を導き出しているところが面白いと思いました。
例えば公共財ゲーム に「罰」という設定を組み込んだ実験が興味深いです。「罰」とは参加者が自分の配分を減らして誰か一人の配分を減らす行為です。これが認められた場合と認められなかった場合では提出する金額が異なります。その結果を示したのが以下の図になります(Fehr and Gächter, 2002)。
左が「罰」ありの場合、右が「罰」がない場合です。縦軸が提出した額の平均で、横軸が実験を行った回数となっています。この図を見ても明らかなように、「罰」があった場合の方が、提出する額が多くなっています。この実験からすぐに「人間には社会的選好がある」と結論づけることはできませんが、どうやら「罰」を組み込むと提出額が増えるらしいということは分かります。そして今度は「罰」がどのようにして使われているのかを明らかにするための実験を行います。そうやって徐々に、なぜ「罰」があると提出額が増えるのかという問いに対する答えに近づいていきます。以上のようなプロセスを通して、「人間には社会的選好があるか」という問いに答えようとしてきた研究者たちの発想のユニークさと豊かさに私は印象づけられました。
論文を読んで大勢の人の前で発表をするというのは初めてで、大変だと思ったこともありましたが、そのおかげで実験経済学というものに少しだけ触れることができ、また人に伝えるにはどうしたらよいか、ということについて考える非常に良い機会になりました。
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注1:公共財ゲームとは、別名n人囚人のジレンマゲームとも言います。n人というのは参加者が何人いても差し支えないということです。ここでゲームの説明を簡単にしたいと思います。例えば4人でこのゲームを行うとします。参加者には最初、1000円(この額も実験によって様々です)が渡され、そこからいくらかを提出することを求められます。すると全員の提出した額の合計が二倍され、それが全員に均等に配分されます。つまり頭数で割られた額が一人分の取り分となります。参加者は初めからこの分配のことを知っているので、合理的な個人であればただ乗りをすることが見込まれます。参加者全員が合理的な個人であれば、何度ゲームを行っても提出する金額が0ということになるでしょう。しかし実験では、単純にそうはなりませんでした。
参考文献
- Andreoni, J. (1998), "Why Free Ride?: Strategies and Learning in Public Goods Experiments," Journal of Public Economics, 37(3), pp.291-304.
- Henrich, J. and Gil-White, F. (2001), "The Evolution of Prestige: Freely Conferred Deference as a Mechanism for Enhancing the Benefits of Cultural Transmission," Evolution and Human Behavior, 22(3), pp.165-196.
- Herrmann, B., Thöni, C. and Gächter, S. (2008), "Antisocial Punishment across Societies," Science, 319(5868), pp.1362-1367.
- Fehr, E. and Gächter, S. (2002), "Altruistic Punishment in Humans," Nature, 415, pp.137-140.
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